エビデンスってそんなに重要?

日々雑感

小寒を迎えたと同時に寒さが一段と厳しくなりました。

昨日今日とずっと寒くて、暖房さまさまです。

患者さんの帰院時や一定時間が経過したときに窓を開け放って換気もしています。

せっかく温めた空気が冷えてしまいますが、濁り淀んだ空気も良くないですからね。

換気のときに注意したいのが、外の洗剤・柔軟剤臭です。
空気を入れ替えるのに窓を開けたら、逆に柔軟剤臭が入ってきてしまうのはあるあるです。

ここまで寒いとコインランドリーに行くのも億劫になるのか、ここ数日は外気があまり臭わないのでラッキーです。

近所のコインランドリー、撤退してくれないかな~。
本当に迷惑しているのでね。

 

さて、先日 SNS にエビデンス関連の投稿があり、なるほどと思ったことがあったので書いてみます。

”とある現象” に対して、A 氏はエビデンスもなく、リアルタイムで生体観察できない/顕微鏡等で目視できないから、その現象自体がデマであると結論付けておりまして。

それに反論するのが B 氏。
理路整然と何が間違っているのかを挙げ、さらに A 氏の矛盾点にも言及しておりました。

きちんと言語化できる B 氏のスキルに尊敬の念を覚えます。

 

B 氏は最終的に

自分が理解できない現象を評価する能力が無い』と A 氏を批評し、この言葉を見て香害もそれと同じだと思いました。

 

規模の大小にかかわらず、香害についての研究というのは基本的にないと思われます。

ですから、反香害の人々は『エビデンスを示せ』と言うんですけど、そもそも論文化されているものもなく、それは無理な話。

そうなると、エビデンスを示せない ⇒ 香害という現象自体がデマ ⇒ 香害を訴える人は精神異常者 みたいな流れになっちゃう。

※ ”エビデンス示せ” の人々がなぜかトレースしたように全員同じ思考になる不思議

 

香害被害者という当事者じゃないから、香害について調べようとする気が起こらないのも、それは素直は反応だと思う。

ただ、🐴🦌のひとつ覚えみたいに『エビデンス! エビデンス!』と騒ぐ人たちは『自分が理解できない現象を評価する能力が無い』とまったく同じ人種なんですよね。

 

例えば、伝統医療(鍼灸も含まれます)、経験則、体感ベースの話はエビデンスがないことが多い。伝統医療については少しずつ科学が介入することで判明したものも増えてはきましたが、いまだ未知なものが多い。

鍼灸で言うと、『足の三里に鍼をすると胃の蠕動運動が起こる』は有名な話であり、小沼も動画を観たことがあります。

そして、なぜ足の三里に鍼をすると胃の蠕動運動が起こるのか、のメカニズムも判明しています。これはエビデンスありです。

ただ、気の流れとか、経絡とかの話になってくると、そこに科学が介入したとして『よく解らない。でも確実に何かがある』くらいまでしか解らない。つまり、エビデンスはない。

でも、気の流れとか経絡などは、経験則や体感ベースで現象が存在することを認識できます。そこにエビデンスがなかったとしても。

 

マイクロプラスチック自体、肉眼で見えるものではなく、香料だって目視できるものでもない。

でも、洗剤・柔軟剤のニオイを感知した途端に具合が悪くなるという現象は、エビデンスがなくても実在します(経験則と体感ベースとして)。

それをエビデンスがないから香害はデマである/思い込みである/つまり精神異常者であると結論付けるのは、あまりにも短絡的・暴力的だし、『自分が理解できない現象を評価する能力が無い』と認めているようなもの。

逆に言えばエビデンスに縋り付いているという言い方もできます。

 

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ここで本間真二郎先生の講演会資料の一部を貼り付けます。

  • 科学論文=エビデンス=証拠ではない!
  • 科学論文が改ざんされているのは当たり前の時代

とバッサリ。

『エビデンス! エビデンス!』と五月蝿い輩は ”科学論文=証拠である” とブレインウォッシュされているのだと思います。

コロナ騒動のときも書きましたけど、その論文の執筆陣はどんな人々・グループなのか、出資者(組織)はどこなのか、そいう背景を調べるだけでも ”どういう意味を持った論文にしたのか” が見えてきますよね。つまり、利益相反。

査読済み(付き)論文も完全に信じて良いかは別です。

査読とは『その分野を専門とする研究者が読んで内容の妥当性などをチェックし、掲載するか否かの判断材料にする評価や検証のこと』を指しますが、査読する研究者が忙しすぎて家族を遊園地に連れていきながら読むなんてことも普通に起こっており、”目を通しました” だけのものがほとんどじゃないでしょうか。

 

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それから、世界有数の医学雑誌「ランセット」の編集長を務めるリチャード・ホートン博士の言葉によると上画像のようになるそうです。

論文とは……エビデンスとは……ってなりますよね。

もちろん、すべての論文にエビデンスがないという意味ではありませんし、真剣に真摯に研究を続け論文を書いている研究者の方々がいるのも事実。

ただ、現状はあまりにも利益相反や出資者の意向に沿った論文が出すぎました。特にコロナ騒動でそれが表出した形です。

 

結局、人は自分の見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じません。

体裁だけ繕った偽の論文のエビデンスを後生大事に唱える人がいる一方、経験則や体感ベースを重要視する人がいる。

もともとは経験則や体感ベースだったものを『なぜか?』と調べ始めたのが結果的に論文になったと認識しており、そこに利益相反などが入ってきたからめちゃくちゃになってしまったんだろうなという感想です。

小沼は鍼灸術・東洋医学という ”目に見えないけど確実に存在する世界” に従事しています。ぶっちゃけ、エビデンスとか興味ないし、エビデンス自体も全体の中のとても小さな世界だけを見てそう結論付けたものという認識をしています。

香害もそうですけど、いま目の前で起こっている現象と体感を重要視していきたいと思っています。

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