昨日は成人の日(二十歳のつどいとも言うんでしたっけ?)。
新成人、そしてその親御さんの皆さん、おめでとうございます。
世知辛い世の中ではありますが、希望をもって人生を謳歌していただけたらと願います。
と、書きながら実はウチの長女さんも成人しました。ですが、諸事情あって式には参加しませんでした(ちなみに欠席理由はコロナや旧友に会いたくない、じゃないですからね)。
小沼は27年前に成人式に出ましたが、これといって楽しかった記憶もありませんし、必ずしも出席しなくてはいけないということもないと思ってます。
節目ではありますから、区切りをつける意味でも出席することに意義があるのかもしれませんが、正直なところ、成人式というのも一つのビジネスになっちゃってる感があって。
高校3年生あたりから事あるごとに振り袖のパンフを送ってくる業者。それを着付けたり、ヘアメイクしてもらったりと、完全にプロにお世話にならないと成人式が成り立っていないじゃないですか。
一生に一度のことだからというのも解りますけど、個人的にはもっと質素でいいんじゃないかな、女性においては振り袖じゃなくてスーツでもいいんじゃないかな、とか思っています。今や女性といっても様々なタイプの方がおられるわけですから、それぞれの嗜好に合った服装でいいと思うんですよね。形や格好にこだわる、というかみんな同じでいたい日本人らしい発想ですよね。
と、長くなりましたので成人式についてはこれくらいで。
話は変わって、今日は十日市です。
毎年、晴天 or 荒天のどちらかという極端な日ですが、今年は荒天でした。
20年にわたって「十日市に一度も行ったことない」と言ってますので、もうさすがに足を運ぶことはないと思っている小沼です。
それで今日のタイトルなんですが、おそらくこれからも十日市って続いていく行事だと思うんですね。まず、廃止されることはないと思う。
なんですけど、どのくらい前からかは知りませんが、スーパーでも起き上がり小法師や風車、市飴を販売していますよね。スーパー側の気持ちは解りません。自分たちの売上を伸ばしたいのか、十日市まで行けない方のために販売しているのか。
販売を自由にすることに別に文句はないんですけど、こういうことが普通になってくると十日市の醍醐味というか存在意義というか、それが薄らいでくると思っています。
きっと昔はスーパーもそれほどなく、十日市じゃないと小法師や風車が買えなかったことでしょう。だからこそ、みんな神明通りまで出かけてお金を落としていた。でも、今は近所のスーパーで、それも年末に手に入ってしまう。
十日市じゃないと手に入らないものではなくなってしまったわけです。
なんでもそうですけど、利便性を追求していくと衰退していくものが出てきます。個人的には十日市もその範疇に入り始めているのではないかと思っています。利用されなければ廃止されるのは当たり前。まぁ、もっとも廃止されるほど閑散とした十日市は見たことないので大丈夫だと思いますが、しかし昔ほどの賑わいがないのも確実でしょう(昔の賑わいは見たことないですけど)。
今日みたいな荒天の日だと余計に足が遠のきますよね。出店されている皆さん、本当にご苦労さまです。
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一度も行ったことない小沼が偉そうに言うなってご意見は真摯に受け止めますが、そもそも十日市という行事に個人的に興味がないだけです。行ってみたいと思えない。だから、会津に移り住んでから一度も行ってません。近所のスーパーで小法師などが手に入るから行かなくていいやっていうのとは違うことだけお伝えしておきます。
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